浪人生の親の気持ち、息子が聞いてみた

大学受験

浪人生を子どもにもつ親御さんはかなりつらいですよね?僕は3年間浪人して旧帝大学医学部に合格することができました。

合格した後に親にどのような気持ちで浪人させてくれたかを聞いたら感動しました。

もし、子どもが浪人していて家庭全体の雰囲気が暗いという人に希望を与えられたらうれしいです。

そして、受験生が読んでくれていたら家族のありがたさを少しでも感じてくれたらうれしいです。

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浪人生になることを親が許したわけ

浪人すること自体の意見が親子で対立することもあると思います。しかし、僕は浪人することをあっさりと許されました。

その最大の理由は、家から出して寮生活をさせて性格を直させること。

現役時、毎日3時間睡眠でとにかく勉強はしていました。しかし、勉強さえしていればいいという感覚を持っていたので親が車で塾の送迎をしてくれたり、毎日お弁当を作ってくれることに関していっさい感謝していませんでした。

朝なんて毎日6時半とかに家を出て高校に行って勉強していました。それに合わせて母親は毎日お弁当を作ってくれていました。当時は感謝とかしていませんでした。いま、考えるとかなりひどい高校3年生です。

勉強のじゃまをするなというピリピリした空気を常に出していて、兄弟姉妹も近づけませんでした。こんな反抗期全快の息子を浪人生として家においておくことを特に母親は許しませんでした。

僕の家は父親がサラリーマンの一般家庭なので、祖母に頭を下げてお金を出してもらって予備校の寮で浪人することが決まりました。こうして、浪人生活は始まりました。

補足
あと、単純に現役時は記念受験だけをしました。つまり、足切りがない医学部しか受けなかったので合格した大学がなかったということもあると思いますが(笑)

2浪は母親が反対、3浪は母親が賛成のわけ

母親は1浪目のセンター試験が悪かった時点で医学部じゃなくてもいいからとりあえず大学に入学してほしかったみたいです。

もともと、1浪までという約束でしたし、お金のこと、弟や妹の教育のことなども考えていたのだと思います。

しかし、父親は1浪で医学部を諦めさせることに反対してくれたみたいです。

合格した後に聞いた話なので当時は知らなかったのですが、2浪目をさせるかさせないかで喧嘩にまで発展していたようです。

ほんとに申し訳なかったな、と思います。

その喧嘩の結果、父親が母親を説得してくれました。母親はしぶしぶOKしたという感じだったみたいです。

2浪目は1800点満点のテストであと50点足りなくて国立の医学部に落ちてしまいました。私立の医学部も受けていましたが全部落ちていました。

MARCHの明治大学工学部には合格していました。

親に3浪を許されなければ仮面浪人をするつもりでした。

3浪目をすることを父親はどちらかといったら反対だったみたいです。2浪して無理なら3浪しても無理だろうと感じていたのです。

そして、2浪を反対していた母親はもちろん3浪も反対するだろうと父親は思っていました。

しかし、3浪目をするにあたって今度は母親が

「もう一年やらせてもいいんじゃない。」

と言ってくれたとききました。驚いた父親が理由を聞くと

「勉強だけでなく、家族を思いやって家事をするようになった。人として成長できているからあと一年やらせてもいいんじゃない?」

と言ってくれたのです。

たしかに、2浪目は実家から通うことができる予備校にいっていたので朝食後、夕食後は家族全員の食器洗いを必ずやっていました。

そして、勉強は予備校が開錠される数分前にいって自習をして、夜は予備校が閉まるぎりぎりまでいて勉強していました。

また、基本は一日中予備校にいるのですが予備校が開いていないときに家にいるときは、妹や弟に勉強を教えたり、洗濯などの家事もしていました。

これらの成長を母親が認めてくれたいたのです。そして、ぼくは3浪を認められました。

3浪で旧帝大学医学部【合格】

模試の成績は良いときも悪いときもありました。しかし、東進の模試で全国1位をとるなど確実に学力はついていました。

でも、どんなに努力しても、いい成績をとっても本番うまくいくということが保証されているわけではないのが受験の世界です。

センター試験で地方国公立の後期の医学部の判定がA判定だったら、前期は好きな医学部(旧帝大学医学部など)に出願していいという約束を親としていました。

しかし、センター試験はそこまで良い点数ではありませんでした。後期は地方国立医学部はC~E判定でした。

約束だし、あんまり行きたくないけどA判定の地方国立医学部に出願しようと僕は思っていました。

点数を伝えたあと両親が話し合ってから父親に伝えられました。

「好きなところに出せ。」

と。

予想外でした。僕は

「前期落ちたら後期落ちる可能性高いよ。普通に約束通り地方出すよ。」

と答えました。すると父親は

「落ちたらもう一年やればいいだろ。」

と言ってくれました。

さすがに4浪とか許されるわけないだろと思っていた僕はかなり驚きました。

父親と母親は僕の頑張りを認めてくれて

「この家を売ってでもどんな手段を使っても医者にしてやる。ここまで来たらどこまででも付き合ってやる。」

というふうに考えていたのです。

ほんと『バカすぎる親ばか』だなと思います。でも、それを聞いたときはほんとうにうれしかった。

ここでほんとに行きたい大学に出願しないと一生後悔するとわかっていました。後悔しないためにも旧帝大学医学部に出願しました。

本番は得意な数学が予想以上に難化して落ちたと思いました。しかし、家族の応援があることがわかっていたので、次の日の面接までいっさい手をぬきませんでした。

分からなくてもとにかく、ほんとにとにかく回答をかきました。

結果は…

【合格】

でした。

父親に電話したら泣いて喜んでくれていました。もちろん母親も喜んでくれましたが母親はなんとなく受かると思っていたみたいです。母親のこういう予知能力すごいですよね(笑)

 

浪人による成長

1浪目に寮生活をしたことで家事の大変さや親にどれだけ甘えていたかを実感できました。

そして、学生でもなく、働いてもいない、社会的にはニートと同じ立場を経験することで弱い立場の人間の気持ちが少しはわかるようになりました。

大学にきてからは絶対怒らないよね、といわれることも多いので性格も丸くなったと思います。

弟も妹も近寄れない雰囲気はなくなっていると思います。

現役合格したひとは頭いいし、要領いいです。しかし、浪人を経験している人のほうが確実に『アジ』があります(笑)。

まとめ

浪人という現実は家庭全体を暗くします。少なくとも、僕の家庭は雰囲気が暗くなっていました。

しかし、浪人の経験はマイナスなことばかりではなく人間として成長できます。

親御さんは自分の子どもが浪人することを頭ごなしに否定しないで話し合って決めてほしいです。

そして、浪人することになってしまった本人は、勉強をがんばることは当たり前としてなんでもいいから家族に貢献してみてください。

合格すれば苦労したぶん喜びも2倍です。無理しない、自分のペースで頑張ってください!